NNNの日記

ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放った紙屑に書かれたような誰も読むはずのない文章

2022年2月1日

真夜中に日記を書き殴る。

今日、石原慎太郎が亡くなった。僕は石原慎太郎の小説自体は読んだことはない。

もしも石原慎太郎が政治家になっていなければ、亡くなってもここまでメディアで騒がれることはなかっただろう。

仮に、昨年亡くなった小説家の古井由吉が政治家でもあったら、亡くなったときにもっと騒がれていた。

だからなんだってわけじゃないけど、メディアというのはなんだか不思議なものだなと、もはやファンタジックにさえ感じられる。

 

一時期、新聞記事やネットニュースばかりを、読みまくってたときがあった。あまりにも読みまくりすぎてうんざりしてきた。

村上春樹が確かねじまき鳥クロニクルかの小説で、「新聞記事なんて、いつも何を読んでも同じようなことが書かれているだけだ」というニュアンスのことを書いていたが、僕も記事を読みまくってうんざりしたときに、そのことが自分なりに理解できた。

石原慎太郎が亡くなった。人はいつか亡くなる。当然のことだ。

いいことも起これば、悪いことも起こる。当然のことだ。

報道に決して取り上げられることのないが、名もない誰かにとって重大なことは、毎日のように起こっている。

そういうことに思いを馳せてみると、報道されていることなんて、この地球上で起こっていることの極々一部なんだなあと思う。

 

記事の中身はどうでもいい。記事から感じ取れるものが、日常生活において毎年同じ年間行事を繰り返すように、変わり映えしないのだ。

 

昼休みにはよくYahoo!ニュースやNHKニュースウェブを開く。朝ご飯に食パンを食べるようなものだ。Twitterもそうだ。

心に残る報道なんて滅多にない。報道なんて見てないで本を読もう。