NNNの日記

ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放った紙屑に書かれたような誰も読むはずのない文章

2022年2月27日

27日、ウクライナ情勢はいまだ収束が見えていない。

日本の、青森県の片田舎に住む僕は、国際情勢はまるでメディアの中だけで繰り広げられているだけで、自分たちの周囲には無関係であるかのように、当たり前の生活を日々営み続けている。

こんな平和な日常でも、贅沢は我慢して生活費を気にしながら月給稼いだり、仕事で理不尽なことを言われて腹が立っても我慢したり、生活を営むことは決して楽なものではない。

仕事は、気を抜くと濁流に流されるように這い上がれなくなるし、仕事がなくなると家族を食べさせることができない。

だからなにがなんでもしがみついて仕事するしかないし、仮に上司にいじめられたりしてメンタルを崩しそうになったら、崩しそうしなる前にこちらがブチ切れるしかない。もちろんブチ切れたりする前に、しっかり予防線を張っておくべきだが。平和な世界でも、日常の中で個人は戦争をしている。

 

日曜日。朝は遅く起きて、長女が起きてからすぐに僕も起きて、トーストを焼いてマーガリンを塗って食べさせる。僕もトーストを食べて、コーヒーを淹れて飲んだ。

妻と長男はその30分後くらいに起きて、あと2人分のトーストを焼いて、長男にトーストを食べさせるのは妻に任せる。

長女とこどもチャレンジの一月号のワークをやる。もう三月号まで届いているのに、一月号に手をつけてないということで、一月号のワークを40分ほどかけて最初から最後まで一気にやる。長女は引き算の概念をまだ理解していない感じだった。

お昼に蕎麦を煮て、細切りのネギを麺つゆに入れて水で希釈して温めて、乾燥の天ぷらと、卵の黄身を入れて食べた。

午後は子供達だけを連れて外の空気を吸いに行った。ゲームセンターでメダルゲームを100円分ずつやり、お菓子を100円分ずつ買って食べて、本屋で絵本とかを眺めるだけ眺めてから帰ってきた。

疲れたから夕方まで寝た。妻は買い物に出かけたがまだ帰らず、冷蔵庫がすっからかんで夕食の支度もできなかったから、ワイシャツを洗った。

妻が食材を抱えて帰ってきたので夕食を作った。惣菜の豚カツを、玉ねぎとにんじんと卵をとじてカツ丼にした。もやしを2袋、きゅうりを2本使ってもやしナムルを作った。キャベツの味噌汁は昨日の残り。夕食を作りながら、金麦を2本飲み終わった。今日は2本で終わった。

ちなみに昨日は休肝

シャワーを浴びて、子供と絵本を読んで、おやすみを言って電気を消してから、これを書いた。

 

そんな平和な休日だった。平和とは当たり前の日常であり、当たり前の日常とは、ほとんど特に代わり映えのしない生活だ。

だとしたら、そのほとんど特に代わり映えのしない生活の中で、ほっとするときこそが幸福なのだと実感している。

ビールを飲むとき、コーヒーを飲むとき、子供とじゃれ合うとき、音楽を聴くとき、静かに本を読むとき。

青空の元で澄んだ空気を吸い込んだり、木々の葉っぱを見上げて、季節の移り変わりを感じるとき。

自然を愛でることは、資産や階級に関係なく、誰にでもできることだが、みんなができることではない。

高い金を払って海外旅行に行くのが幸福だと思う人が旅先の景色を見たときに感じる幸福と、僕みたいにお金がなくて旅行に行けないけど、近所の公園とかに行ったときに季節の移り変わりを感じる幸福は、実は全く同じことだと思う。

最短距離で幸福を手に入れるためには、そういう感覚が必要だと思う。