NNNの日記

ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放った紙屑に書かれたような誰も読むはずのない文章

2026年6月28日(日)

朝5時半くらいに震度5弱の地震によって眠りから起こされる。そのまま眠いのに眠れなくなって、布団の上でウトウトゴロゴロして、10時くらいにやっと起き上がる。

洗濯と掃除を済ませたあと、たまには一人で外でランチしようと出かけて、ちらし寿司と海鮮ラーメンセットを食べた。休日に一人で外でランチすることはほぼないんだけど、やっぱりなんか慣れなかった。

夜は惣菜の餃子と、トマト1個とめかぶと、缶ビール3本飲んだ。餃子は12個入ってたけど、7個食べて5個は冷蔵庫に閉まった。

ビールをもう1本飲みたくなって、散歩にもなるしと思って、徒歩で片道15分くらいのコンビニへ夜道を歩いて行った。住宅街の中の空き地に生い茂った草から、子供のころにかいだ夏草の匂いがした。いい匂いだった。コンビニからの帰り道で缶ビールを1本飲みながら帰った。

こんな取るに足らない、なんでもない休日でも、満たされた気分になる自分がいる。

2025年7月21日(月)

この間、38歳になってアラフォーになったんだけど、もう人生のゴールテープというか、死というかが、真っ直ぐの道の先にあって、目視できるようになった。

別にだからもうダメだとかは全く思ってなくて、アメリカ西部の荒野のようにひたすら続く真っ直ぐな道路をぶっ飛ばしていくみたいな感じ。

まだ38なのに、アラフォーだし、もう40代になったような気分だ。「まだ20代の気分だ」とかは全然ない。

年齢というのは人のアイデンティティに深く直結する。20歳の子は力が漲って万能感があるし、10歳の子は朗らかな子供らしさがあるし、70歳の人は身体がいうことをきかなくなる。逆にいえばそれはただの年齢のために過ぎない。

週に3回くらいランニングしてるし、酒も辞めたし、日焼け止めも毎日塗ってる。健康とか美容に気遣いながら、アイデンティティを年齢に左右されず、38の今を維持し続けながらゴールまでいきたい。それが「人生100年時代」とか喧伝されている時代の生き抜き方だと思う。

ていうかあと60年も生きるの長過ぎてしんど。

2025年7月13日(日)

投票日が仕事なので、期日前投票に行ってきた。候補者の名前、だいたい漢字かな開きしてて、有権者ナメてんのかと思う。「政治とは言葉である」みたいなのをなんかの本で読んだことがある。だからひらがなで容易化・平易化・簡略化してないで、政治やってくんだったら、きちんとした言葉で普通に漢字使おうぜ、と思う。

 

昼はナポリタン作った。最近パスタはナポリタンばかり作ってる。f:id:na77rita:20250713222559j:image

レタスはたまにめんどくさすぎるときは洗わないで食べてたけど、今日食べたレタスは虫が付いてたので、今度からきちんと洗うことにした。

でも工場で作られたきちんとパッケージングされている食品だって、清潔そうに見えて体に悪い成分とか、なにが入ってるかわかったもんじゃない。もしかしたら野菜についてた虫を食う方がまだマシかもしれない。

 

先週くらいに、映画館で『夏の砂の上』というオダジョー主演の映画を観た。

過去の傷は癒える前に、記憶として徐々に薄れていき、ただ何か分からない虚しさだけが胸に残った。うだるような暑さが続き水不足になった長崎の夏に、久しぶりに、まるで生命のような雨が降り注ぐ。いい映画だった。

 

僕自身は傷ついていたのが治ったのか、元々傷ついていなかったのかさえよく分からないけど、毎日こうして生活している。

2025年6月7日(土)

セブンイレブンに行けば500mlの缶コーラが売っているんだけど、ビールが大好きだった名残で、缶でコーラを飲むのが好きだ。

250mlの缶コーラではダメだ。250mlの缶ビールなんてないからだ。350mlのコーラならOKだ。

あとペットボトルのコーラでもダメだ。ペットボトルよりも缶のコーラの方が圧倒的にビジュアルがいいからだ。真っ赤なのがオシャレだと思う。

アンディ・ウォーホルコカ・コーラポップアートとして書いたし、コーラは大量消費社会の象徴的存在だ。

でも何がヤバいかって、コーラ500mlには角砂糖20個分(約61グラム)くらいの砂糖が入ってることだ。WHOが推奨する1日の砂糖摂取量=25グラムの2倍以上だ。

大量消費社会の象徴がそんなに体に悪いものだなんて、この世界は本当にどうかしてる。コーラを飲むのは週に1回くらいにしようと思う。(コーラに砂糖がめちゃくちゃ入ってることなんてずっと前から知ってたわけだけど)

 

最近、朝の5時起きにチャレンジしているけど、結局6時半とか7時とかに起きてチャレンジ失敗する。それでも今日は、朝7時に起きて、9時くらいにランニング4kmして、その時点で休日の過ごしたを勝ち確した。「今日はもうこれで、最悪布団の上でSNSを見まくって気づいたら夕方になっても、まだ罪悪感±0くらいに持っていけるな」と走りながら思った。

その後は図書館に本を返しに行ったり、スーパー行ったり、ギター弾いたりして、きちんと有意義に過ごした。夜ご飯に麻婆豆腐を作った。今住んでる家のキッチンがクソ狭く、ガスもないのでカセットコンロを使っているんだけど、麻婆豆腐のひき肉を炒め始めた途端にガスボンベが切れ、ストックがなかったので急いで買いに行った。家なのにサバイバルキャンプしてるのかっていうくらい不便だ。引っ越したい。

麻婆豆腐は、生姜とニンニク刻んで、豆板醤と豆豉醬で味付けして、不味くなるわけがなくおいしかった。f:id:na77rita:20250607214513j:image

2025年4月12日(土)

 まだ朝晩の肌寒さはあるけど、青森もやっと春らしくなってきた。八戸では15日が桜の開花予想日。桜祭りとかは久しく行ってない気がするけど、通勤途中に街路樹の桜が見られればそれで充分だ。過ぎていく時間とは無関係に季節は巡り、桜の花は咲く。いつかの桜の記憶が今を暖めてくれる。ハンドルを握りながらフロントガラス越しに桜を見上げる。車が走り抜けると、路面に敷き詰められた桜の花びらが踊る。気圧の変化のせいなのか頭がふわふわする。 いつだって春は喜びに溢れている。

 

YouTube見てたら、全然知らないアーティストの春の曲がすごくよかったのでおすすめします。

Katawara「春よ」

- YouTube

 

関係ないけど2月20日から飲んでないので、そろそろ2ヶ月経つ。もうあまり飲みたいと思わなくなった。ソーダストリーム(炭酸水作るやつ)を買ったらめちゃくちゃよい。炭酸水飲みまくっている。

2025年3月8日(土)

午後、気分転換に家から車で10分程度の八戸市博物館へ行ってきた。立派な博物館で、それなりに見応えもあるのだが、お客さんは僕を含めて5人くらいしかいなかった。今回3回目くらいの訪問だったが、いつ行っても閑散としている超マイナー施設だ。しかし僕はこういう超マイナー施設が大好きだ。

入場料を払って館内をゆっくりと見て回った。縄文時代の土器や石器や、江戸時代の刀や鎧、明治から昭和までの生活用具など、地域の歴史や民俗にかかるものが展示されている。何度見ても飽きることはない。

全部見終わってから、休憩ロビーに行った。ロビーの壁一面のガラス窓からは、街が見下ろせた。景色の手前には大きな河川が流れている。川沿いの土手の上を歩く人。遠くの道路を行き交う車。天気が良ければ遠く離れた八甲田の山並みが見渡せるそうだ。そして景色の大半を占める広く大きな空。

土曜日の午後3時、誰ひとりいないロビーでソファに深く沈み、しばらくぼおっと景色を見て過ごした。正直、博物館の展示よりも、この休憩ロビーから見渡す街の景色のほうが、僕にとっては印象深いものだった。

もし写真が上手なインスタのインフルエンサーの誰かが、この景色をカッコよくアップしてバズったら、たぶんこの常に閑散とした博物館に一気にお客さんが殺到するかもしれないなと思った。でももしそうなったら僕はもうここに来ないだろうなとも思った。

いくらきれいな景色でも、観光地の有名な夜景スポットみたいに人が殺到していると、僕は一気に気分が萎えて、景色そのものを楽しめなくなってしまう。みんながその風景めがけてスマホをかざして写真を撮っているのを見ると、馬鹿馬鹿しくなってしまうのだ。この世界には、誰も見つけていないきれいで美しい風景が他にもたくさんあるはずだから。人によってそれぞれ、好きなことや大事な人がいるように、お気に入りの景色も人によって異なるはずだから。

今日のその瞬間、その景色は僕だけが独り占めしていた。それがよかった。

 

そういえば酒をやめた。最後に酒を飲んでから二週間以上経った。ずっとやめようやめようと思ってチャレンジしては3日後にはまた飲むという繰り返しをしていたが、今回本当にやめることができた。酒を卒業するのは、大学を卒業するくらいに生活が一変する。繰り返される日常を変化させる。なにかを卒業するのは、なにかを始めるのと同じくらい良いことなんだと実感した。

酒はやめれたけど、炭酸水を毎日1.5リットルくらい飲んでいて、もはや炭酸水中毒になっている。家に炭酸水のストックがないと不安になる。アル中になるより害はないので良しとしている。

2025年1月5日(日)

12/30に実家に帰った。大晦日の午後に体調悪いなと思って熱を測ったら、38.5とか出てドラッグストアに薬を買いに行った。戻ったら39.8まで上がって、そのままK.Oした。

僕には紅白も年越しそばも除夜の鐘もカウントダウンもなにもなく、ただひたすら高熱に悶え苦しみながら、2024から2025へとシームレスにニュルっと年を越した。

実家ではテレビのない部屋に隔離され、子供部屋おじさんと化した僕は、高熱にうなされつつXを開くと、星野源が不機嫌だとか、B'zは元々ダサい扱いだったはずだとか見た。紅白を見てないので全くついていけず、でもマジでそんなのどうでもいいし、ついでになにもかもがどうでもよくなって、死にたくなったよね。心も体もボロボロさ。

実家の津軽は、僕が寝込んでいる間にも雪がしんしんと降り積もった。NHKのニュースアプリを開いても、「青森県の雪マジでやべえぞ」と大きく載ってるくらいやばかった。実際マジで多すぎた。路肩の雪が多すぎて、国道はいいとしても、田舎の方の小さい道路なんかは二車線がほぼ一車線になってて、すれ違うのもギリギリだった。これで現代の日常生活営めるのか?こんなん仕事行く前に雪かきして1日終わるやろ。

雪かき要員として期待されて帰省したにもかかわらず、実家に着いてすぐにK.Oして、僕はなんて役立たずなのだろうかと、布団をぎゅっと噛みながら泣いた。死にたくなったよね。これが僕の2025年の始まりとかなんなん?と自問自答した。

12/31からの高熱は、1/2の0:00に39.7をマークし、1/2の朝にたまらず救急外来に行った。鼻を綿棒でグイグイ刺す検査をされて無事にインフルエンザの診断を正式に得て、イナビルなどインフルの薬をゲットした。

1/4にようやく熱が完全に下がり、そのまま八戸のアパートに帰宅した。八戸の雪は、津軽に比べたら南に300キロ離れてるくらい大したことなかった。

酒も飲まずご馳走も食べず、インフルに悶え苦しんだだけの帰省だった。こんな人ほかにいますか?死にたくなったよね。1/3なんて寝たきりでスマホを見続けて、完全に虚無でした。空洞です。

年頭所感として。厳しい状況ですが、悲観せず、前向きに生きていきたいと思います。