NNNの日記

ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放った紙屑に書かれたような誰も読むはずのない文章

2022年6月26日

歌はくだらない。歌は言葉がある分、音楽よりも単純になる。今日、午後にレジャーに出かけたとき、行きの車でテキトーなJ-POPをかけて、セカオワとか髭ダンの聴いたことない歌を聴いてたら、そんなの聴きたくないと妻に言われ、あなたは今、福山雅治の「家族になろうよ」を聴くべきだと言われて、聴いたことはあるけど、とりあえずかけてから、違うことを話しかけたら、ブチ切れられたので、後できちんと聴くよと言ったけど、ぐちぐちと言われたので、プッチンして、ブチギレ返したら、妻が信号待ちだったのに車のドアを開けて出て行こうとして、子供がやめて!と叫んだので僕も気がつき、妻の頭をふっ叩いて、大声で怒鳴ったら、収拾つかない怒鳴り合いになった。

レジャーなんてクソだ。歌もクソだ。単純な意味なんて、実際に生きる個人を単純化させるだけだ。

見田宗介の「新しい望郷の歌」を読んだ。家族として目指す地点が、レジャーに行って、就職するまで子供を育て上げて、自分は勤め先の市町村で家を建て、そこを住処として死ぬ?そんなのは嫌だ。「新しい望郷の歌」には、そうした1960年代の家の価値観の転換を書いていた。何も考えずに結婚して子供を作ったけど、今になって色々とのしかかってきている。妻との軋轢も絶えない。

レジャーも歌も、どうでもいい。昨日、子供たち2人と僕だけで、図書館に本を借りに行った。図書館の中庭が木が茂った広場になっていて、そこで子供たちが遊びたいと言ったので、僕はベンチに座り、子供たちは葉っぱを拾ったりどんぐりを拾ったりしてた。娘が、僕なところに来て、大きな葉っぱをベンチに置いて行った、僕はそれを繁々と見た。

強い風が吹いた。木の葉がそよぐ音がした。子供たちは楽しそうに走り回っていた。僕は幸せや喜びを感じた。

人が多いところにレジャーに行って、ソフトクリームを人数分の四つ買って食べて、息子がソフトクリームを落として、怒って、手がベトベトになって、疲れた。運転も疲れた。帰ってからすぐに夕食を作った。些細なことでイライラして、また僕が怒ったら、妻がまた逆ギレしてきて、また大声で怒鳴り合いになった。

疲れた。僕はもう当分、歌なんて聴きたくない。言葉のない音楽を聴きたい。